美の呪力

2004年9月2日 読書
仕事お休み。

何処にも行く気がしなかったので今日も一日家にいた。
本読んで、音楽聴いて(これまたROENTGENなんだって…今日何回リピートしたかしら?)、久々に『7』見たりして過ごしました。
『7』の時ってhydeさん髪が短かったんだね(笑)
私は長い髪のhydeさんが好きなので早く『SMILE』のDVDが出て欲しいなと思ってます(*^。^*)

で、夕方になってすることが無くなったので本棚見たら途中までで読み止まっていたこの本を発見。
途中ご飯を挟んで9時くらいまで一気に読了。
BGMは好きなチェリストYO-YO-MAのBESTとHYDEのROENTGENを用意してました。
(単にラジカセの中に入ってただけだけどね・笑)

岡本太郎さんって『芸術は爆発だー!』のイメージしかなくて、今で言うとアニマル浜口@気合だー!みたいな色物扱いされてたような思い出しかなかったのですが(失礼やぞ)この本、読んだら岡本太郎さん、素晴らしい人なんですね。

真っ赤な表紙と帯の文章「私は幼い時から、『赤』が好きだった。血を思わせる激しい赤が…。」というのに惹かれて買ったんだけど、読み始めると最初から北極の石の話から始まったので難解で途中で読むのやめてたんですよね。
でも、今日読み進めていくととても面白い。

中でも私の好きなのは【古代の血・現代の血】の章に書かれてる岡本太郎さんの詩。

赤い兎

上げ
ましょう

血と心臓を赤い兎とし、赤い兎が胸から飛び出すことが死であり命が強烈にふきおこる刹那。生命の幻想の造形。

全体的には芸術の話とゆうよりはもっと思想的な内容で、世界中の伝統的な話から宗教、人間の生き方などなどホント素晴らしいです。目から鱗とはこのことでは?
芸術は古代からの人間の生活の中から生み出されたものであって、人間臭いものだった。でもある時から表面的な美しさ・ネームバリューのみで価値をつけられるようになり、『美術品』とゆう狭い枠組みの中に押し込められてしまった。
本当にそうかもしれない。
枠組みを超えた時にこそいい作品は生まれるのかもしれない。

以下、印象に残った所を抜粋。

【仮面の戦慄】
自分が仮面である。それをうち出す瞬間に、いかに自分が、この世界全体が、無限の仮面に取り囲まれているか、目がひらくのだ。その絶対的な存在感を感得しない人間は、仮面となるととはできない。あらゆる社会的イデオロギー以前の、この実体…。
われわれの人生は面の呪術によって縛られ、ひらかれて行くべきである。

【火の祭り】
この世界は自分であり、自分は世界である。この世に生きている限り、こういう絶望的な絶対感は誰でも身の内に燃え続けている。大地の奥に火が燃え盛っているように。生きることを決意した自分の内にも火焔は暗く燃えているのである。

【夜ー透明な渾沌】
黒々とした闇の中に忽然と、身体中から触角がのびはじめる。無限に向かって。その一つ一つに眼が光っている。空高く、星は清らかだ。そのまたたきと己の息づかいがこたえあう。この無限に透明な世界は、それゆえに渾沌なのだ。

【あとがき】
人間の存在は根源の時代から、作ると考えるの矛盾の中に生きていた。

この本を読んで思ったのは、単純に人間の考える事、成してきた事は大昔から万国共通なのかもしれない。
文化は宗教と戦いによって培われてきたのだ。
たぶんこれからも「宗教と戦い」は永久になくならないと思う。
悲しいことだけど、それが無くなると文化・芸術はこの世から無くなってしまうだろう。文化・芸術がなくなることはつまり人間の絶滅を意味するのではないだろうか…。

岡本太郎さんは10代でフランスに移住し、世界の芸術品と呼ばれるものに出会い、異端の思想家とよばれたジョルジュ・バタイユと親交を持っていたらしい。
バタイユは生命への実感や神聖さの恍惚をエロティシズムのテーマで探究し伝統的なヨーロッパの形而上学に反論してきた思想家
らしい。こう書いても意味がわかりませんけど、バタイユに興味はあったので今度機会があったら挑戦してみたいと思います(笑)
バタイユ話としては、金子先生のマダム・エドワルダの絵が強烈に印象に残ってますわ(@@)

生きているうちに、世界のいろんなモノを見て回りたいな。
そして色んなことに挑戦して行きたい。
この本読んでよかった。

<余談>
BGMで聴いてたHYDEさんの「A DROP OF COLOUR」がこの本にしっくり馴染んでました(^^♪そんな感じの本です(笑)
分かりにく〜?!

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